tebura0hitori's blog

体ひとつで どこへでも。そんな自由を求めていながら、自分をごまかし、だまし、なだめすかして生きている、そんなアラフィフの、叫びやひとりごとです。

はじめまして 

大雪のあと 雪だまりを避けて歩いた、ビル際の道で

すってんころりんと 転んでできた両膝のアザもやっと取れてきました。

しかし 仕事で 人付き合いで 疲れ切った心のアザは 黙っていても

消えてなくならないのです。

 

だから 結局は独り言に過ぎないかもしれないけれど

吐き出す場所が 欲しくなりました。

 

きっかけは尊敬していた上司の何気ない一言。

それは自分に向けた言葉ではなく、別の人が、新人指導についてその上司に相談しているところをたまたま至近距離で聞いてしまったのでした。

相談者「○さんが、私の話を素直に聞いてくれないんです。」

上司「おだててみれば」

 

別の日

相談者「△さんが、私の話を真剣に聞いてくれないんです。」

上司「だったら自分が同席していくらでも不快な気分にさせてあげるよ」

 

この話を聞いてもだからなに?と思われるかもしれませんが、実はこの上司は仲間のなかではほぼ全員から嫌われ、軽蔑も受け、憎まれてさえいるのではないかというほどよい話を聞かない人だったのですが私はこの上司のよいところが自分には見えていると何年も思っていたのです。

ほかのひとからは私が気の毒に見えていたのだろうと、やっと気づいたのです。

 

だって上記のアメとむちを、私にも上手に使い分けられていたのですから。

孤独が平気で 別に人に思い入れなど持たないつもりの自分が実は、上記上司をずいぶんと頼りにしていたようです。

しばらく茫然としてしまい仕事でもミスをしてしまい、退職まで考えていました。

けれど思い出したのです。

私は もともと この社会で生きることに 馴染めてないことを。

だから 死んでない間は、とりあえず生きておこうというスタンスでいることを。

自分に 合った 生きる場所があるなど、今更期待していないことを。

 

なんでこんな 根本的なことを忘れていたのでしょうね。

思い出させてくれたのはこのブログ記事でした。

楽になりたいなら心の「マクロモード」を切れ - 雑考集

確かに 個々の人は 意識的に別の人間に絶望感を抱かせようと思ってなどいないでしょう。

でも確かに上記の上司のような人は少なくとも私には「辛いなら生きる必要はない、辛い間死なずにいればいい」という雑考集さんの言葉を再確認されてくれます。

ブログにみなさんが書いておられる言葉を読むと、この感覚を味わっているのは自分だけではないということがわかって気が楽になります。

体一つで生まれてきたのだから、最後はまた体一つで逝けばよいことです。